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Mar02

わずかな被ばくで生還!

 28日にいわきのホテルに入り、翌日1日、朝起きてびっくり。朝食会場が、東芝、日立のプラント会社の作業員、鹿島や竹中工務店の下請け社員で満員。
hukusimadaiichi.jpg しかも、朝6時すぎにホテルを出て、福島県広野町のJヴィレッジまで向かう道路も、作業員を乗せたクルマやトラックで大渋滞。
「ここは放射能との戦場なんだ」と実感しつつ、Jヴィレッジから東電が用意したバスで福島第1原発に入った。
 東電は信用できなくても線量計は正直だ。Jヴィレッジではゼロを示していたデジタル数字が、免震重要棟に来ると22.60マイクロシーベルトまで上がる。(ドキッ)
hukusimadaiichi8.jpg 左の写真は、私たちが4号機を取材している場面。
 ここの線量は高くなかったけど、1号機の排気口前や、水素爆発で外壁が吹き飛んで以降、むき出しの3号機のタービン建屋前では、一気に1040.00マイクロシーベルトを記録した。(うわっ)
hukusimadaiichi2.jpg 私たちは、取材機材をすべてラップで防護。
 体も、サージカルマスクやタイベックス(=防護服)で全体を覆った。
 手は綿の手袋の上からビニールの手袋を2枚重ね。靴下は2重、靴もビニールで裏までカバー。
 それでも、現地で5時間取材した私は、89.00マイクロシーベルト被ばくした。ただこれは、胸部X線検査での被ばくと同程度で、ホールボディカウンターでも「異常なし」。(ふうっ)
ふくし~1.JPG ただ、毎日働いている作業員は大変。
 日々400トンもの汚染水が増え、メルトダウンした1~3号機の使用済み燃料は取り出せるメドすら立たない中、見えない放射能と戦い続けている。
 作業員の拠点となっているJヴィレッジにも免震重要棟にも、全国から届いた千羽鶴や激励の手紙が飾られていたけど、廃炉まで30年近く、この壮絶な戦いが続くのだ。
 原発事故からまもなく2年。再稼働を望む経済界や原発マネーで生きてきた自治体の気持ちはわからないではないが、福島を見てもそう言えるか、是非とも問いたくなった。
 


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